プレイボーイの代名詞にもなっている『ドン・ファン』とは、どんな男性だったのでしょう。
後世に語り継がれるほどのプレイボーイぶりも、気になりますね。
・『ドン・ファン』は実在していた!?
ドン・ファンを題材にした、数多くの作品があります。
オペラや映画、クラッシック音楽にもなったほどの有名人『ドン・ファン』とは、実在していたのでしょうか。
現代の認定としては、「伝説上の人物」となっています。
つまり、「いたかいないかわからない」というものです。
そんな彼のどこがこんなに有名になったのでしょうか。
彼がプレイボーイであるとする、ある話があります。
スペインの名家出身のドン・ファンはとんでもない好色者。ある日貴族の女性誘惑します。
それを邪魔した女性の父親をドン・ファンは殺害。
それに怒った協会の牧師たちにより、逆に殺害されてします。
事の真相を隠そうとした神父たちは、「ドン・ファンは石像となった父親によって踏み潰され死んだ。そして地獄に連れて行かれた」とデマを流す。
あまりの悪行に見かねた神父たちが制裁を加え、自身の罪を隠すために嘘の噂を流した。
しかし今までの素行の悪さから、だれもそれを疑わなかったというから、よほどだったんでしょう。
もともとは、「色に迷って悪事を働けば天罰が下るぞ」という教訓めいた話でした。
しかし、石像が人を殺すという設定が当時の舞台ではとてもウケたらしく、
当時の劇作家たちがこぞってドン・ファンを思い思いの人物に仕立てて自身の作品に登場させていきます。
ここからが現代のよく知られるプレイボーイ『ドン・ファン』の誕生となります。
なぜにこれほどまでに「ドン・ファン」は、人気が出たのでしょうか。
彼の行いは、ヨーロッパで当たり前とされた「騎士道精神に基づく恋愛」とはかけ離れています。
貴婦人方へは、誠実に接することこそが紳士とされれている中、どうみても「ドン・ファン」の行いは真逆ですね。
明確な答えは出ていませんが、ひょっとしたらドン・ファンのような心のままに相手に飛び込む、燃えるような恋愛に男性も女性も憧れを抱いていたのかもしれませんね。
・実は日本にも「ドン・ファン」はいた!?
ドン・ファンが中世ヨーロッパでその浮名をはせていたとき、日本にも「和製ドン・ファン」がいました。
皆さん必ず一度は耳にしたことがある名前。
「光源氏」
身分も時間もお金もある光源氏は、正妻がいながら数々の女性と通じ、ときに呪われるという自体にまで陥ります。
女性と見れば声をかけずにはいられない。まだに和製ドン・ファンと呼べるのではないでしょうか。
しかし本家ドン・ファンは、その悪行の末に殺害され、それすらも己の行いのせいだと責められます。
和製ドン・ファンである光源氏はというと、大した揉め事もなく、つつがなく余生をおくり人生を全うします。
なぜ光源氏は最後まで「光源氏」といして描かれたのか、それは紫式部の理想の男性像だったからだともいわれています。
手出しはするが、きちんとアフターフォローをする細やかさのある光源氏。
自分の都合だけで色恋を突き進むドン・ファン。
ドン・ファンが誕生してずいぶんと時代は変わりました。
しかし今でもプレイボーイの代名詞となる「ドン・ファン」に、親しみを覚えるのは筆者だけではないと思いたいです。